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日本全国ぶらり繊維産地めぐり旅〜桐生編〜

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こんにちは、コロモビト.です

日本国内に多く存在する繊維産地の歴史や特徴、名物・名産品などを、皆さんと一緒にめぐりながら探訪する「繊維産地の旅」。

今回で3回目となる旅の目的地は、群馬県桐生(きりゅう)産地。


桐生産地は群馬県の東部に位置し、栃木県との県境にあります。いったいどんな物語があるのでしょうか。

それでは、さっそく群馬県桐生産地へ出発しましょう!

桐生(きりゅう)~群馬県~

ソースカツ丼のはじまりと言われる老舗の人気店「志多美屋」

引用:ソースかつ丼の志多美屋

桐生・前橋・伊勢崎を主とし、群馬のソールフードとして親しまれているのが「ソースカツ丼」。「桐生ソースかつ丼会」が決めたソースカツ丼の定義なるものが存在します。一般的にカツ丼で使うのは豚ロース肉ですが、群馬のソースカツ丼には豚ヒレ肉を使います。あげたてのカツをソースにくぐらせ、どんぶりに盛ったごはんにソースカツを乗せて完成。ごはんの上にキャベツを乗せずに直接カツを乗せるのが大きな特徴です。

桐生産地の歴史

表情豊かな紋様を織りなす桐生織

引用:文化遺産の世界

群馬県桐生市で織られている、絹を用いた「桐生織」が有名で、柔らかな感触と光沢があり、高級着物から服飾品に至るまで広く愛用されています。中でも強撚糸使いの先染めジャガード織物が高く評価され、使用糸も天然繊維から化合繊まで幅広く対応しています。

桐生織のはじまり

697年(文武天皇)から791年(桓武天皇)までの出来事をまとめた歴史書の「続日本紀」

引用:国立公文書館

桐生の地では昔から織物が盛んで、奈良時代の714年(和銅7年)に「黄あしぎぬ」と呼ばれる織物を税として納めたいた記録が続日本紀に残っています。桑の葉(蚕の餌)の生産に適した土壌だったため、大陸から養蚕の技術が伝来してからは、絹の産地となっていました。

桐生織の発展

関ヶ原の戦い、徳川家康本陣「戦国合戦図屏風」より

引用:岐阜市歴史博物館

1600年、徳川家康が今の栃木県の小山に在陣中、急遽石田三成を討伐することになりました。この合戦が後に、「関ヶ原の戦い」と呼ばれます。

家康より、不足した軍旗に使用する絹織物の発注があり、桐生産地にある54ヵ所の村が協力し、なんと1 日で約2400枚を用意した逸話も残されています。

愛知県内で使われていたバッタン高機

引用:トヨタ産業技術記念館

家康が見事関ケ原の戦いで勝利を収めたことにより、桐生産地はより名を高めました。当時、絹織物の一大産地といえば京都の西陣でしたが、西陣に並ぶ産地となるべく、積極的に技術の導入を試み、大消費都市である江戸に近接している強みも追い風となり、「西の西陣、東の桐生」と呼ばれるまでに発展を遂げることとなります。

ただいま休憩中

桐生織物史 上巻「白瀧姫御真影」文化元年 小寺応齋書 竝詞書より

引用:桐生織物記念館

桐生に織物の技術を伝えたと言われる「白滝姫伝説」が存在します。平安時代の初期、桓武天皇の時代に山田郡の仁田山(今の川内地区)に住んでいたと言われている農家の青年が、宮廷の掃除係として都へ行きますが、宮中で出会った姫に恋い焦がれ、その気持ちを和歌にしました。

白瀧姫を祭った「白瀧神社 社殿」

引用:桐生市

最初は東国から来た身分の低い男を相手にしていなかった姫も、彼の才能に次第にひかれてゆきます。やがて天皇の前でも見事な和歌を詠み、許しを得て姫を連れて帰ることになりました。
この時、姫が身に着けていた養蚕、製糸、機織りの技を里人に教えたのが桐生織の発祥と言われています。

産地の更なる発展

桐生市 織物参考館 紫(ゆかり)にある手織りジャカード機

引用:CRAFT LETTER

江戸時代後期に手工業生産システムを分業化してマニュファクチャ制度(工場製手工業)を確立。明治になると1871年に江原貞蔵がアメリカから力織機を、1877年には森山芳平がジャカード機をアメリカから輸入し、近代技術を取り入れ桐生は代表的な織物産地としての地位を築いていきました。

羽二重の織りに使われた大きな織機 奥行きが10メートルもある

引用:ものづくり総合大会

羽二重(はぶたえ)の創織もこの頃で、和服の裏地などに最適だった羽二重は、絹の白さと滑らかさ、しなやかさに優れていて、ストッキング用として欧米の女性に好評だったそうです。明治から大正にかけて輸出が盛んになり、夜会用手袋やストール、シルクハットなどに用いられる欧米輸出の中心素材となりました。

先染めの多色を使ったカットジャガード

引用:桐生テキスタイル

こうして、帯地や着尺・服飾工芸品など和装の分野で培った伝統技術は、今では婦人服地・インテリア資材など洋装の分野にも応用されています。そして絹織物だけではなく、化学繊維に関するニットや縫製・刺繍・染色など多様な工場が点在しているのも桐生産地の特徴的な部分です。

旅のふりかえり

桐生産地いかがでしたでしょうか。恋物語伝説や関ケ原の戦いなど、産地それぞれの奥深い逸話に毎回驚かされます。

最後に「かかあ天下 ~ぐんまの絹物語~」をご紹介して締めくくりたいと思います。

 "かかあ天下"というと、「強い女性」というイメージがありますが、実は「働きもので家計を支えた女性」のこと。

 古くから絹産業が盛んな上州(群馬県)では、女性が養蚕・製糸・織物で家計を支え大活躍しました。夫たちは「俺のかかあは天下一!」と呼び、これが上州名物になり、現代では活躍する女性像の代名詞ともなっています。

もしかすると、元祖「かかあ」は白滝姫かもしれませんね。

それでは、次回山梨県富士吉田編でお会いしましょう!

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