ADIDAS vs. PUMA兄弟喧嘩|世界を二分したスニーカー戦争

こんにちは!コロモビトライターのチバです。

今、街を歩けば必ずといっていいほど目に入る人気スニーカーブランド「adidas」「PUMA」。スポーツはもちろん、ファッションシーンでも欠かせない存在になっています。

でも実は――この二大ブランドの創業者は実の兄弟で、しかも激しく対立していたのをご存じでしょうか?

今回は、知れば誰かに話したくなる“スニーカーブランドの兄弟喧嘩”の歴史をお届けします。

目次
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ダスラー兄弟の原点 ― 靴作りの家に生まれて

引用:ENTER THE STAGE

ドイツの小さな町、ヘルツォーゲンアウラッハで、この物語は始まります。

1898年、兄ルドルフ誕生。(左)
1900年、弟アドルフ(アディ)誕生。(右)

ダスラー家は代々織物業を営んでいましたが、時代の波に押され、父は靴職人へ転身、母は洗濯業で家計を支えました。

幼い二人は父の仕事を間近で見て育ち、やがて靴作りの道へ。
第一次世界大戦から帰還した後、廃業となった母の洗濯屋を改装し、兄弟は靴工房を設立しました。

こうして1920年に「ダスラー兄弟商会」が誕生。
技術肌の弟アディと、営業に長けた商才ある兄ルドルフ。正反対な二人の挑戦が始まります。

世界を驚かせたスパイク ― ベルリン五輪の栄光

引用:jesseowens.com

1936年、ベルリンオリンピック。

弟アディは、自身が手掛けたシューズをアメリカ代表の黒人選手ジェシー・オーエンスに託しました。他国の選手に託すことを兄のルドルフは反対しましたが、最終的にシューズはオーエンスのもとへ渡りました。

オーエンスは大会で4つの金メダルを獲得。この瞬間、「ダスラー兄弟商会」のシューズは世界の舞台で一躍注目を浴びたのです。

第二次世界大戦と兄弟決裂 ― 「ADIDAS」「PUMA」の誕生

1939年、第二次世界大戦が勃発。
工場は軍需工場へと転用され、兄弟の関係も次第に悪化していきます。

この時期、弟アディは工場での技術が必要とされ、徴兵を免除されていました。
一方のルドルフは召集され、戦地へ向かわざるを得なかったのです。

「なぜ弟ばかりが優遇されるのか」──。
ルドルフの不満は募り、やがて「弟が自分を追い出そうとしている」という疑念へと変わっていきました。

さらに終戦間際、兄ルドルフは連合軍に逮捕されます。その原因が「弟の密告だ」と思い込んだことで、二人の関係は完全に崩壊。「ダスラー兄弟商会」は終焉を迎えます。

1948年、兄ルドルフは「PUMA」を、弟アディは「adidas」を設立。小さな町ヘルツォーゲンアウラッハは、世界的ライバル企業が並び立つ特異な舞台となりました。

名前の由来

■adidas(アディダス)


弟アドルフの愛称「アディ(Adi)」と姓「ダスラー(Dassler)」を組み合わせて名付けられました。

ちなみに、アディダスの象徴でもある3本ラインは、ただの装飾ではありません。創業当初に作っていた革製のスポーツシューズは、履き込むうちに革が伸びて型崩れしてしまう弱点がありました。その補強のために入れた3本のバンドが、のちに世界的なトレードマークになったのです。

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■PUMA(プーマ)


兄ルドルフは自身の名前の頭文字「RU」と姓「DA」を組み合わせて「RUDA」を設立しました。のちに「PUMA」と改名。

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ペレをめぐる戦い ― サッカー界の頂点へ

引用:CNN

“サッカーの王様”と呼ばれたブラジル代表の英雄・ペレ。
その存在をめぐり、兄弟の対立はサッカー界を舞台に熾烈さを増していきます。

1960年代後半、両社は「ペレとだけは契約しない」という“ペレ協定”を結びます。サッカー界のスーパースターであるペレをめぐって、過熱する競争に歯止めをかけるための苦肉の策でした。

しかし1970年、ワールドカップ・メキシコ大会。
この暗黙のルールを、兄側のPUMAが破ります。

引用:puma-catchup

試合開始前、ペレは突然レフェリーにタイムを要求。ピッチの中央でゆっくりとしゃがみ込み、スパイクのひもを結び直し始めました。その足元には、鮮やかなフォームストライプが走るPUMAのスパイク。

“ペレ・ストップ”。

わずか数十秒の動作が、全世界にテレビ中継され、PUMAの名を一瞬で広めることとなりました。

一方で、弟アディダス陣営は激しく憤慨。兄が裏切ったと断じ、両社の関係は完全に修復不能のものとなります。家族の争いは、サッカーの頂点でついに決定的な決裂へと変わったのです。

兄弟亡き後の和解

やがて時は流れ、兄弟は互いに和解することなく亡くなりました。町には二つの墓地が残り、アディとルディは別々に眠っています。そして、ダスラー家の血は両ブランドから消えていきました。

しかし、2009年には、長年の確執に区切りをつけるかのように、アディダスとプーマの社員たちによるサッカーの「フレンドリーマッチ」が開催されました。
激しく争った歴史を超え、町にはようやく一つの笑顔が戻った瞬間となりました。

まとめ

adidasとPUMA。
世界を代表するスポーツブランドの物語は、実は一組の兄弟の喧嘩から始まりました。

ジェシー・オーエンスが履いたスパイク、ペレが魅せた“ペレ・ストップ”、そして2009年のフレンドリーマッチ。
その一つひとつが、スポーツの歴史とカルチャーを大きく揺さぶってきたのです。

兄弟は最後まで歩み寄ることはありませんでした。
けれども、彼らが残した靴は今も世界中の人々の足元で走り続けています。

こうした歴史を知ったうえで、あえて「adidas」と「PUMA」を組み合わせてみる。そんなスタイルも、ちょっと面白いかもしれませんね。(笑)

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事の執筆者 チバ
この記事の執筆者 チバ
■年齢:33■身長:182■趣味:Netflix鑑賞■好きな服(スタイル):ミリタリー■座右の銘:足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り
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