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傘の物語 〜 前 編 〜・傘の起源・世界への普及・洋傘日本伝来

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こんにちは、コロモビトです。

もうすぐ5月。大型連休が終わって一息つくとジメジメしたあの季節がやってきます。
そうです、梅雨。そして、梅雨に欠かせない雨具と言えば「傘」ですよね。

そこで今回は傘について、前編「傘の起源~世界への普及・日本伝来」、後編「折り畳み傘の誕生」の2本立てで深堀をしてみたいと思います。

それでは、さっそく前編のスタートです。

そもそも傘の起源とは?

アッシュル=バニパル王(紀元前668-627年)の宮殿から出土したレリーフ

引用:MEISTERDRUCKE

世界最古の記録は、古代エジプトやペルシャの彫刻画や壁画に傘をさしている姿が残っており、遥か4000年前から傘が使われていました。

祭礼のときに神の威光を表すしるしとして神像の上にかざしていそうです。 この時代の傘は現在のような開閉式ではなく、棒に布が張られただけのものでした。

傘が一般的に使われだしたのはギリシャ時代で、アテナイ(アテネの昔の呼び名)アテネの貴婦人たちが日傘として従者に持たせている絵が残されています。当時の傘は日差しを遮る目的とともに、権力を象徴する道具として用いられていたと考えられています。

開閉式傘の登場

フランスの画家クロード・モネ1875年に描いた絵画散歩、日傘をさす女性

引用:Wikipedia

現在のような開閉式の傘は13世紀にイタリアで発明されました。当時の傘は、フレームに鮫の骨や木が使用されていたようです。開閉式の傘はその後、スペイン・ポルトガル・フランスなどヨーロッパへと広まっていきます。

17世紀のフランスでは、町中で2階から投げ捨てられる汚物を避けるために女性にとっては傘が必需品だったという話もありますが、この頃の絵画作品にも日傘を差している女性が多くみられるように、ヨーロッパにおいて傘は「女性が日よけとして使用するもの」として定着していくこととなります。

18世紀の印象派を代表するフランスの画家、ルノワールやモネの作品には、日傘をさす婦人たちの姿が描かれています。

雨傘の普及の始まりは一人の「変わり者」のおかげ

傘を持って歩くジョナス・ハンウェイを描いた絵画

引用:MEISTERDRUCKE

傘を雨具として世の中に広めたのは18世紀の後半、旅行家・著述家・商人であった「ジョナス・ハンウェイ」というイギリス人でした。

ペルシャ旅行中のハンウェイは、傘を雨具として利用している人々の様子に感激し、帰国後、雨の日に防水加工した傘を差してロンドンの街を歩きはじめました。

当時のイギリスでは、男性は帽子やトレンチコートで雨を防ぐのが常識だったため、周りからは笑われ変わり者扱いされたそうです。ですがハンウェイが約30年間も雨傘として使い続けたことで、次第にイギリスの男性の間でも見慣れた物となり定着していくことになります。

ロンドンにあるハンウェイストリート

引用:WIKIMEDIA

現在では、ハンウェイの名を知る人はほとんどいませんが、その名はロンドンのストリート名 ”HANWAY STREET” として永遠に刻まれています。

使いやすい雨傘としての発展

James Smith & Sonsを設立したミスター・ジェームス・スミス

引用:James Smith & Sons

その後、イギリス最初の傘屋とされるJames Smith & Sons(1830年設立)により、それまで真っ直ぐだった傘の持ち手の形を男性が使いやすいようにステッキの形に似せて売り出されました。当時としては大変高価な物でしたが、とても良く売れたそうです。ですが使用していたスチール製のフレームがとても重く、不満の声が無かったわけではありませんでした。

オックスフォード通り53番地に店を構える「James Smith & Sons Umbrella Shop」

引用:Wikipedia

James Smith & Sons社は当時ステッキも製造販売していたため、現在の傘のパーツの名称がステッキと同じ名称なのは、ここに由来すると考えられています。

1851年にイギリス人のサミュエル・フォックスがU字断面スチールフレームを発明した事をきっかけに、丈夫で軽く美しいカーブを描く傘を作る事が可能となり、イギリス国内で大ヒットすることとなります。1852年には特許を取得し英国スチール社を設立。世界各国にフレームの輸出を開始し、世界の傘の実用普及の礎を作りました。

世界の中でも早い段階で「雨傘」を使っていた日本

「国宝 源氏物語絵巻」平安時代(12世紀)徳川美術館蔵

引用:徳川美術館

一方日本では、5世紀後半~6世紀の古墳時代、朝鮮半島から「蓋(きぬがさ)」という、絹を張った長柄の傘が伝来したと言われ、日本書紀のなかに「蓋」の文字が記されています。

平安時代になると製紙技術の進歩や竹細工の技術を取り入れ改良を行い、さらに室町時代では和紙に油を塗布する事で防水性を持たせた和傘が、現在の様な雨傘として広く使用されるようになりました。

橘岷江図「彩画職人部類 下」より 国会図書館デジタルコレクション

引用:和楽WEB

それと共に傘を専門に製作する傘張り職人が登場し、その後、江戸時代になると分業制が発達したことでより広く普及するようになって行きます。

西洋傘の伝来

嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航

引用:Wikipedia

日本最古の洋傘の輸入記録は、江戸後期の1804年(文化元年)。長崎に入港した中国からの唐船の舶載品目の中に「黄どんす傘一本」との記述が見られます。現在、洋傘として特定できる最古の記録とされています。

それから程なくして多くの日本人が洋傘を目にしたのは1853年の黒船来航でした。上陸した水兵たちが洋傘をさす様が多くの野次馬の目に触れ、数年後の1859年(安政6年)には本格的に輸入されることとなります。

ですが、当時洋傘はまだまだ高級な舶来品で、一般市庶民の手に渡ることはめったになかったようです。

明治時代の傘広告

引用:Wikipedia

明治に入ると、ついに洋傘の日本国内生産が開始。明治18年には国に特許制度が導入され、明治23年「蝙蝠(こうもり)傘・自動開」という特許登録がされています。

国産品の誕生でコストが下がり、明治~大正にかけて洋傘は一気に庶民の手に行き渡ります。明治後期には日本から海外への主要輸出品目になるほど発展を遂げました。

最後に

現代の日本で傘と言えば、雨傘を連想される人が多いと思いますが、歴史を紐解くと、傘の歴史は神具や日傘から始まったとは少々驚きですね。

さらに現代の我々が普段目にするのは、圧倒的に洋傘が多いですが、日本には独自の進化を遂げた和傘なる物があるのも気になりますね。
和傘については、また別の機会にいろいろお話してみたいと思います。

それでは、次回後編「折り畳み傘の誕生」でお会いしましょう!